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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和43年(ワ)19号 判決

原告

関原敬次郎

外一名

代理人

加藤美文

被告

右代表者

小林武治

右指定代理人

日浦人司

外二名

右訴訟代理人

原口酉男

被告

福岡県

右代表者

亀井光

右指定代理人

日浦人司

外五名

主文

被告らは各自、原告関原敬次郎に対し金四四万九、四九八円、原告関原響子に対し金二七万八、〇二二円及び右各金員に対する昭和四三年三月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告等の、その余を被告等の各負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判。

(一)原告等の求める裁判。

被告らは各自原告関原敬次郎に対し金九二万三、〇一八円、原告関原響子に対し金二〇八万三、二三二円及び右各金員に対する昭和四三年三月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)被告等の求める裁判。

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、請求原因

(一)事故の発生

原告関原響子は原告関原敬次郎の長女であるが、原告敬次郎は右響子の外家族三名とともに、昭和四二年四月九日午後九時頃、訴外浜田勝信運転の普通乗用車に同乗して国道二〇〇号線を鳥栖方面から北九州市門司区に向け進行し、福岡県嘉穂郡筑穂町大字内野字桑曲の冷水峠北側約二〇〇メートルの地点にさしかかつた際、突然国道右側崖の上方一〇乃至一五メートルの地点から自然落下して来た直径二五センチメートル、重さ二五キログラムの石が、前記自動車のフロントガラスを破つて車内に飛び込み、前部座席の左端に座つていた原告敬次郎の腹部に激突した。さらに右落石のため運転手浜田は急停車の措置をとつたところ、前部座席の中央に乗車していた原告響子は虚を突かれて顔面、両腕を右車フロントにて強打した。よつて、原告敬次郎は頭部、頸部、上腹部および右手右腕関節の各挫傷の傷害を受け、原告響子は鼻背上口唇、左眼部及び左前腕各挫傷、鼻骨陥凹骨折、左上顎洞出血、左上腕挫創擦過傷等の傷害を受けた。

(二)道路の設置、管理の瑕疵

本件道路は二級国道に指定されたもので、本件事故現場付近は山の中腹を切りとつて設置され、右側上方は高さ二〇メートルの急斜面、左側は深い谷間となつている。右側の崖は一五メートル位の高さまでは砂利混りの軟弱な土質で、その中に落下した前記の石に類似する大小二〇乃至三〇個位の石が散在露出していて従来から落石が絶えず、僅かの降雨にも土砂が流され、石が露出しあるいは落石するため崖の表面の凹凸が著しく、かかる際同所付近を通過する車は絶えず落石の危険にさらされながら進行していた。また降雨の翌日などは大小無数の石が側溝や路面に落下していた。

このように落石の危険のある山中に道路を設置管理する場合には、その設置管理者としては山側からの落石、土砂崩れを防止するため、その地形、地質等の状況に応じた防護措置を講じて落石等による道路上の危険を回避する方策を講じて道路の安全を保つべきである。本件事故現場も右防護措置として法面を金網で押えるか、モルタル吹付で固定させたり、あるいは道路幅を拡張するなどの措置が講じてあれば本件事故も回避されたはずであるが、僅かに高さ二メートルのコンクリートの擁壁が設置されているに過ぎず、同壁より上部は土砂崩れや落石等の危険にさらされたままに放置され、付近に落石注意の標識もなく、また日常の管理も単に落石、崩土を除去する程度のことがなされていたのにすぎなかつた。よつて本件道路の設置管理には瑕疵があつたものというべきであり、そのために(一)記載の事故が発生したのである。

(三)被告等の責任

(イ)被告国の責任

本件道路は二級国道二〇〇号線に指定された国の営造物で、国の機関である福岡県知事においてその設置、維持、管理に当つているものであるから、被告国は本件道路の設置、管理に瑕疵があつたために原告らに生じた損害を賠償する義務がある。

(ロ)被告県の責任

本件道路は国の営造物であるが現実の管理に当つている公務員の俸給、給与等は被告県から支出されており、管理者と費用負担者が異るので、国家賠償法第二条、第三条により被告県にも本件道路の設置、管理に瑕疵があつたために原告等に生じた損害につき、費用負担者として賠償責任がある。

(四)損害

(イ)原告敬次郎関係

原告敬次郎は肩書住所において関原外科病院を経営する医師であるところ、前記負傷により事故発生の日の昭和四二年四月九日から同月二二日までの間右関原病院に入院治療を受けたが、本件事故により同原告に生じた物質上の損害並びに精神上の損害の総額は金九二万三、〇一八円であり、その内訳は次のとおりである。

(1)治療費    金七万二、〇九八円

(2)代診医師謝礼金 金一〇万三、〇〇〇円

右金員は原告敬次郎が治療のため入院中医師としての仕事に携わることができないため同月一〇日から二三日までの一四日間代診の医師を雇い入れ、その謝礼として支払つたものである。

(3)自動車修理代 金四万九、八八〇円

前記事故の際原告敬次郎所有の自動車が破損したが、その修理のため要した費用。

(4)諸雑費    金三万四、〇四〇円

その内訳は本件事故のために支出した車代一九、〇四〇円、同じく事故のために支出した家事手伝人に対する賃金その他の雑費一万五、〇〇〇円である。

(5)逸失利益 金三六万四、〇〇〇円

個人病院経営による収益は院長である医師個人の技倆、人格等に関係するところが大きく、代診医師によつて、応急の措置をしてもその受診率の低下は免れることができないものであつて、原告敬次郎の休診により、その期間中の右病院の減収は金五二万〇、〇〇〇円となり、これより三割相当の薬代その他の経費を控除した金三六万四、〇〇〇円が原告敬次郎の得べかりし利益を喪失した額である。

(6)慰藉料 金三〇万〇、〇〇〇円

原告敬次郎が前記事故により肉体的、精神的苦痛を受けたことはいうまでもないが、その上将来頭痛、上腕神経痛の後遺症が残ることも考えられ、今日でも頭痛を覚える状態である。これらのことを考慮するときその精神的苦痛に対する慰藉料の額は金三〇万〇、〇〇〇円が相当である。

(ロ)原告響子関係

原告響子が本件事故により受けた物質上、精神上の損害の総額は金二〇八万三、二三二円であつて、その内訳は次の通りである。

(1)入院治療費   金八万三、二三二円

原告響子は前記負傷により同年四月九日より同月二七日まで前記関原病院に入院治療したが、その間の治療費である。

(2)慰藉料  金二〇〇万〇、〇〇〇円

同原告は事故当時一一才の少女であつたが、右傷害により肉体的、精神的苦痛を受けたことは勿論、顔面に傷害を受けたことは女性として想像に絶する苦痛であり、一生の運命に影響を与えるものである。その後顔面の変形矯正の努力を重ねたが今日でもなお鼻部左側に骨性の突出が認められ、この変形の完治は不可能であると考えられる。これらの事情を考慮するときその精神的苦痛に対する慰藉料の額は金二〇〇万〇、〇〇〇円が相当である。

(五)結論

よつて原告らは、被告らが各自、原告敬次郎に対し前記金九二万三、〇一八円、原告響子に対し前記金二〇八万三、二三二円及びこれらに対する本件訴状が被告らに送達された日の後である昭和四三年三月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

第三、被告等の答弁

(一)  請求原因(一)の事実中、原告響子と同敬次郎が親子であることは認めるが、原告ら主張の石が国道右側の崖より自然落下した点は否認する。その余の事実は不知。落下した石の大きさ、落下地点等から考えて、本件石が事故現場の崖の法面から落下し、その法面から八メートル離れた位置に進路をとつていた本件自動車の位置まで到達することは力学的にみてもありえないことであつてこのことは被告県の落石実験によつても明らかとなつた。本件事故は対向車又は追越車からの投石か、積荷の落下によるものである。

(二)  請求原因(二)の事実のうち、本件道路が国道(正式には一般国道で二級国道ではない)で、事故現場付近は山の中腹を切り開いて設置され、右側が斜面で左側が谷であること、右側斜面下部に擁壁(現在の高さ2.3メートル)が設置されていること、付近に落石注意等の道路標識は設置されていなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。本件現場の崖の土質は転石まじりの真砂土である。

そもそも本件道路は、昭和三八年八月から翌三九年三月にかけ四メートルの幅員を六メートルに拡張工事をし、その際法面も六分の勾配としたが、本件事故現場付近は調査の結果落石の危険がないと判明したので特別の防護措置は講じないでいたところ、昭和四〇年六月の水害により土砂崩れがあり、翌四一年七月二三日から一一月二九日にかけその復旧工事をした際、特に法面を七分五厘の勾配に切り直し、路面からの高さ1.65メートルのコンクリート擁壁を構築した。さらにその管理として、三日に一回の頻度で係員が現場を巡視していたものであるが、いまだ現場付近道路に落石があつた事実もなく、また法面も落石の危険のある状況ではなかつた。従つて本件現場付近は落石の予防措置を講ずべき状況下になく、道路として通常備えるべき安全性に欠くるところはなかつたものである。

(三)  請求原因(三)の事実中、本件事故が道路の瑕疵により発生した点は否認するが、その余の事実は認める。なお本件道路の名称は一般国道二〇〇号線である。

(四)  請求原因(四)の事実中、原告敬次郎がその主張の病院を経営する医師である点は認めるが、その余の事実は不知。

第四、証拠関係〈略〉

理由

一、事故の発生

〈証拠〉を綜合すれば、原告関原敬次郎はその妻子四名と共に、昭和四二年四月九日夕刻熊本県山鹿市より訴外浜田勝信運転の自家用普通乗用車に乗車して、肩書地の自宅へ帰る途中、同日午後九時頃福岡県筑紫郡筑紫町と北九州市八幡区とを結ぶ国道二〇〇号線を八幡区方面に向け時速約四〇キロメートルで北進し、福岡県嘉穂郡筑穂町大字内野字桑曲の冷水峠を越えてその北側約二キロメートルの地点に差しかかつたところ、長さ三五センチメートル、横、高さ共に各二四センチメートル、重量約25.5キログラムの石(以下本件の石という)が、右自動車の前面ガラスを破つて車中に突入し、同車前部左端に乗車していた原告敬次郎の上腹部に当つたこと、同原告の長女である原告響子は同車前部座席中央に乗車していたが、その瞬間手で顔を覆つたところ、これと同時に運転手浜田が急停車の措置をとつたため、右響子の顔面及び両腕が同車のフロント部に激突したこと、これとともに前面ガラスの破片が原告らの身体に突き刺さるなどして原告敬次郎は頭部、頸部、上腹部、右手右腕関節に各挫傷の、原告響子は鼻背部上口唇、左眼部、左前腕に各挫傷、鼻骨陥凹骨折、左上顎洞出血、左上腕挫傷、擦過傷等の各傷害をそれぞれを受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、本件事故現場付近の道路は山腹を切り開いて設置された道路で、その東側、即ち前記自動車の進行方向右側上方は急斜面の崖であり、西側は深い谷となつていることは当事者間に争いがなく、また〈証拠〉によれば、本件事故現場付近道路は幅員9.45メートルのコンクリート舗装道路であつて緩やかな下り勾配をなし、東側の崖下は幅0.55メートルの側溝となつており、右崖の高さは約二〇メートル余り、八分勾配の法面に沿う長さの測定値は二七メートルあり、真砂土や風化した花崗岩で構成された風化の進みやすい地質で、その法面は凹凸の状態を呈し、随所に本件の石に類似した石が露出していること、本件事故発生当時は本件事故現場の崖側にある側溝は土砂で塞つていたこと、前記自動車は事故直前右崖の下端から約六メートル離れた地点を走行しており、事故の直前直後にわたつて対向車や追越車はなかつたこと、事故の翌朝警察官らが本件事故現場を調査した際本件事故発生地点にほぼ対応する崖の最高所付近の法面に落石の痕跡と考えられる穴の存在や少量の土砂の崩落が確認されたこと、本件の石は表面に砂が付着していてそれまで土中にあつたものと窺われるような状態にあつたこと、事故発生当時はその前日から降雨があり、当日も事故発生の約五分前まで小雨が続いていたこと等の事実が認められ、以上の事実を綜合するとき、本件石は事故当時事故現場の法面から落下したものと推認するのが相当である。被告等は本件法面からの落石が、崖から八メートルも離れて走行する車の位置まで到達することは力学的にも不可能で、この点は被告等の落石実験の結果によつても明らかとなつた旨主張し、証人安増千年、箱田義郎の証言にこれに副う供述部分があるが、被告らの立証するところによつても右実験はわずか二度行われたにすぎず、前認定の本件崖の高さ、車の位置、凹凸あり且つ随所に露出した石のある法面の状況などに照し、本件の石が右法面からの落石であることの蓋然性を否定するに十分でなく、前認定を覆すに足りない。さらにまた被告らは本件の石は対向車又は追越車からの投石ないし積荷の落下によるものである旨主張し証人箱田義郎、安増千年の各証言中にこれに副う供述部分があるが、これらはいずれも伝聞による供述であつてその本来の発言者自体即ち誰がそういつたのかということ自体明らかでなく、右供述は直ちにこれを措信することができない。そのほか右各証言中前認定と相容れない部分は前掲各証拠と対比して信用し難く、その他前認定を覆すに足りる証拠はない。

二、本件道路の設置又は管理の瑕疵

ところで原告らの本訴請求は国家賠償法第二条一項に基き被告らにその責任を問うものであるところ、同項は「道路……の設置又は管理に瑕疵があつたため他人に損害を生じたときは国又は公共団体はこれを賠償する責に任ずる」旨規定するところであるから、本件事故が本件道路の「設置又は管理の瑕疵」によるものか否かにつき判断する。

前段認定のとおり、本件事故現場付近の道路は山腹を切り開いて設置された国道で、道路東側端の上方高さ二〇メートル余りの崖は、真砂土や風化した花崗岩で構成され、所々に露出した石がみられるため凹凸の状態を呈し、道路西側は深い谷となつており、また〈証拠〉によれば、本件道路は、もと県道であつたが、昭和二八年五月二級国道八幡・鳥栖線に指定され、さらに昭和四〇年四月一般国道に指定されたもので、佐賀、長崎、熊本方面より関門地方に至る道路としては、九州最大の幹線国道である国道三号線に次ぐ主要道路であつて、福岡県知事が国の機関としてこれを管理するものであるが、直接には同県飯塚土木事務所がその維持管理を担当しているものであること、右道路の本件事故現場付近は、昭和三八年から昭和三九年にかけて山腹の切取りなどによる道路幅員の拡張工事がなされ、車道幅6.5メートル、法面六分勾配とされたこと、これと同時に本件事故現場から上方前記冷水峠に至るまでの約二キロメートルの間の道路端で崖の迫つている個所には殆んどその法面に種子吹付ないしモルタル吹付工事、あるいは法面下部に高いコンクリート擁壁を設置する工事を施して軟弱な地質を固定化し落石、崩土に対する防護措置がとられたが、本件事故現場の崖は単にその法面の切り取り工事がなされたのみで別段法面を固定する措置はとられなかつたこと、しかるに昭和四〇年六月付近一帯に水害が発生した際、本件事故現場もその法面が崩落し土砂が路面に落下して堆積するという事態が生じたので、昭和四一年七月から一一月にかけ災害復旧工事がなされたが、その際本件現場付近から峠寄りのすぐ上方にある崖の法面については露出した岩盤を洗滌しモルタル吹付工事が施されたのに対し、本件事故現場の法面は七分五厘の勾配とし、その下部には、延長一〇〇メートルの区間にわたつて高さ1.5メートル余のコンクリート擁壁を設置したに止まり、法面全体を安定させる工事はなされなかつたこと、本件事故発生後の昭和四二年九月から一〇月にかけ右コンクリート擁壁上に1.55メートルの防護網(ストンガード)が設置され、さらに後段に認定する崩土、落石のあつた昭和四四年七月の直後である昭和四四年九月にはその法面にモルタル吹付工事がなされるに至つたこと、本件事故発生前には本件事故現場付近には「落石注意」の標識はなかつたが、その後それが立てられるに至つたこと、以上の事実が認められる。右認定に反する証拠はない。さらに〈証拠〉によれば、本件事故現場の法面は昭和四四年七月にもかなりの量の崩土、落石があり、この際は既に前記防護網が設置されていたため崩土等が路面に落下堆積する事態はこれを避けることができたが、落石が右防護網の一部を破るほど多量の土砂が崩落したこと、尤もこの時は相当多量の豪雨があり、一日一九八ミリの降雨量を記録するなどの長雨明けの時期であつたが、それでも当時その法面にモルタル又は種子吹付工事の施してある本件事故現場以外のその付近の崖については右のような法面の崩落がなかつたこと、昭和四〇年六月の前記水害の際にも本件現場より峠寄りの五〇メートル上方の地点に浮石などが出て危険状態が生じたことがあることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そもそも国家賠償法第二条一項にいう道路の設置又は管理に瑕疵があるとは、道路がその構造、維持補修等に不完全な点があるため、道路として通常備えるべき性状、設備を欠くこと、即ちその安全性を欠如する状態にあることを指称するものと解すべきであり、特に本件事故現場のように道路端に崖があるため落石等の交通の危険を伴う個所には擁壁その他適当な防護措置が講ぜらるべきである(道路構造令三一条参照)ところ、本件道路について見るのに現に本件事故現場の上方崖の法面から本件の石が落下し、事故が発生したこと、本件事故現場上方付近の崖一帯は真砂土や風化した花崗岩で構成されていて風化の進みやすい地質であること、右崖の法面には本件の石に類似の露出した多数の石があり凹凸の状態を呈していること、本件事故発生当時、右崖側の側溝には土砂がたまつており、また昭和四〇年六月及び昭和四四年七月の二回にわたりかなりの降雨があり水害も方々に発生した時にではあるが、本件法面の崩落があつたこと、右法面は事故発生前の四年間に前後二回にわたり切り取り工事が行われ、従つて比較的新しい法面であつて地肌が露出していること、事故発生当時同所以外のその付近の崖の法面はこれを固定する諸工事がなされていたのに反し、本件事故現場は1.5メートル余りのコンクリート擁壁を設置したのみであつたこと、しかるに事故発生後防護網の設置、モルタル吹付工事等が順次になされ「落石注意」の標識も立てられるに至つたこと、本件道路が一般国道として交通上重要な道路であること等前段認定の諸事実を綜合するとき、本件道路は当該地質、地形等の道路条件に即応した適切な危険防護施設を設置するなど、その安全を確保するに十分な措置がなされておらず、道路として通常備えるべき安全性を欠いていたものというべく、しかもその安全性の欠如は本件道路の設置、管理の不完全によるものと見るべきであるから、結局本件道路にはその設置、管理に瑕疵があつたことは否定し難いところである。而して右道路の設置、管理の瑕疵があつたために本件の落石現象ないし事故の発生が招来されたものと見るべきであり、その間に因果関係の存することが肯認される。

被告等は本件道路の管理については日頃から十分にこれを尽していた旨主張し、〈証拠〉によれば、前記土木事務所の係員が週二回ないし四回本件道路を巡回し、側溝の詰りや危険物の除去等の道路管理を行つていた事実が認められるが、道路の管理義務の内容は、道路条件に即した適切な措置を講ずべきことであつて、単に一般的な管理を日常なしていたことをもつてその義務が尽くされていたものとは解しえず、また右各証人の証言中には本件事故現場の法面は落石等の危険は全くなかつたので、防護網やモルタル吹付工事の必要性はなかつたが、たまたま他の個所の道路工事費用の余剰が生じたので、将来のことを考えて右工事をなした旨供述する部分もあるが、前段において事実認定の資料に供した証拠と対比して措信し難いところである。

三、被告等の責任

以上の次第であるから本件道路の設置、管理者である被告国は本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任を免れず(国家賠償法第二条一項)また本件道路は、道路法第一三条一項、一般国道の指定区間を指定する政令により指定された「指定区間」以外の道路であるから、同法第五〇条二項により被告県もその管理費用の負担者としてその責任を免れない(国家賠償法第三条一項)。なお付言するに、そもそも本訴は原告等において被告両名のいずれか一方を相手方に選択し、これのみを被告として訴を提起することによつて、その私法的救済は十分にその目的を達することができるはずであり、その場合他の一方に対する訴はその利益を欠くことになるものといわなければならない。しかし管理者と費用負担者とは国家賠償法第二条一項、第三条一項の規定するところによりともに賠償の責に任ずべきであつて、その間に原則、例外の関係はないものと解すべきであるから、原告らが本訴において管理者である被告国と、費用負担者である被告県の両者を相手方として本訴提起に及んでいる以上、被告等両者の責任をともに肯定するほかはない。

四、原告等に生じた損害

(一)原告敬次郎関係

(イ)治療費、看護費等

〈証拠〉によれば、原告敬次郎は前記傷害により事故直後飯塚市内の病院で治療を受けたほか、昭和四二年四月九日から同月二三日までの一五日間、自己の経営する関原病院において治療を受けこれに関連して診察費、付添婦、看護婦に対する謝礼等として合計金九万五、一一八円を支出したが、そのうち金五万三、四六〇円(但しこのうち金三、〇〇〇円は医師に対する謝礼として贈られたデパート商品券三万円に対する手数料であることが推認されるところ、医師に対する報酬は通常現金をもつて支払われるものであるから、右金三、〇〇〇円は本件事故による通常の損害であるということはできないところ、相当因果関係についての立証がないので、本件事故による損害と見ることはできないから右金三、〇〇〇円はこれを除外する)は同原告と同時に治療、看護を受けた被告響子の分も含めた費用であることが認められるところ、各人別の額が明らかでないので、これを折半した額をもつて各人の診察費等であると認めるのが相当であるから原告敬次郎固有の治療費は残額金四万一、六五八円となる。次に前掲証拠によれば原告敬次郎は往診医師の交通費として金三、五七〇円を支出したことが認められるが本件事故による損害の範囲内にあるものと認められるのは内金二、五六〇円(一回の往診の交通費は金三〇〇円と認めるのが相当である)である。

以上によれば原告敬次郎の診療費等は、次の算式

により計金六万九、四四八円となることが明らかである。

(ロ)代診医師雇入れ費用

〈証拠〉によれば、原告敬次郎はその入院期間中前記関原病院における代診医師として延一五名の医師を雇入れ、これに対する謝礼として合計金一〇万三、〇〇〇円を、またこれら医師の交通費として金一、八〇〇円を各支出したことが認められるが、原告敬次郎の本人尋問の結果によれば、右関原病院においては、従来から土曜日と日曜日には代診医師を雇い入れていた慣行があつたことが認められるから、原告の休診期間中の土、日曜日計四日間の代診医師に対する謝礼金に相当する費用金三万三、〇〇〇円を控除した残額金七万一、八〇〇円をもつて本件事故による出捐であると見るべきである。

(ハ)得べかりし利益の喪失

原告敬次郎は関原病院の従前の収入実績からみて、本件事故により原告敬次郎が就業できなかつたことによる同病院の減収は金五二万〇、〇〇〇円であり、その七割が純益として原告敬次郎自身の収入となるから、本件事故による同原告の逸失利益は金三六万四、〇〇〇円である旨主張し、証人関原敬吾、五島重保の証言中には、同病院の収入は従前の実績並びに年間の収入の変動からみて毎年三月から一〇月までは増加する期間であつて、四月分の収入は少くとも三月分の収入を下廻ることはなかつたことから考えて本件事故による同病院の減収は金五〇万〇、〇〇〇円を下らない旨の、前記主張に副う供述部分があるが、〈証拠〉により、同病院の前年度の国鉄又は生活保護関係の医療収入の変動実績を検討し、またそれらの三月分と四月分とを対比してみても、必ずしも右各供述内容と一致しないことが窺われるし、また原告等の主張自体及び〈証拠〉に徴しても、事故発生前三ケ月間の平均収入は金三〇一万七、六九二円となり事故発生当時の昭和四二年四月分あるいは五月分の各収入を下廻つていることも明らかである。そして同病院の収入の七割を占める社会保険関係の収入についての前年度ないし従前の実績を明らかにするに足りる立証はなく、また元来医療収入が気候、悪疫その他自然現象により左右される性質のものであることに鑑みれば、前記各証人の供述部分のみをもつて直ちにその主張のとおりの逸失利益を認定することは相当でない。しかし、〈証拠〉によれば、同病院が原告敬次郎個人の経営する病院であつて、本件事故の発生が当時新聞に報道されたこと、同原告の入院加療中、夜間診療を受けに来た患者を断つていたこと、代診医による診療時間は原告敬次郎自身の場合に比し短時間であつたことが認められ、以上の事実によれば、原告敬次郎の入院期間中同病院ひいては同原告自身の収入がいくらか減少したであろうことは容易に推測しうるところである。ただ前記のとおりその金額を証拠上明確にすることは困難であるから、この点は慰藉料の算定に当つてこれを斟酌するのが相当であり、かかる見地に立つて、後段において同人の慰藉料の額を定めることとする。

(ニ)自動車修理代

〈証拠〉によれば、本件事故により前面ガラス等が破損した前記自動車の修理費用として金四九、八八〇円を要したことが認められる。

(ホ)交通費等

〈証拠〉によれば、原告敬次郎は本件事故発生後飯塚市から北九州市門司区所在の原告等の住居まで乗車したタクシー代等として金八、三七〇円を要したことが認められる。

(ヘ)慰藉料

以上認定の本件事故の態様、原告敬次郎の入院期間、病状、同原告の職業、地位、収入の減少等諸般の事情を考慮するとき、本件事故に伴う原告敬次郎の精神的苦痛に対する慰藉料の額は金二五万〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

(ト)なお原告敬次郎は以上のほか家事手伝人に対する賃金その他諸雑費として金一万五、〇〇〇円を要した旨主張するけれども、右事実を認めるに足る証拠はない。

以上のうち(イ)乃至(ヘ)の合計は金四四万九、四九八円となることが明らかである。

(二)原告響子分

(イ)治療費、看護費等

前段(一)の(イ)において判示したところにより原告響子の診療費等と認めるべき金額は次の算式

により金二万五、二三〇円となるところ、このほか、〈証拠〉によれば、原告響子は、本件事故発生直後から二七日間前記関原病院にて入院加療し、同原告固有の診療費、入院費として金五万二、七九二円を要したことが認められるから、原告響子の治療費等は以上合計金七万八、〇二二円である。

(ロ)慰藉料

〈証拠〉によれば、原告響子は前記傷害、特に鼻骨陥凹性骨折により顔面鼻部左側に骨性の突出を生じ、その顔面に外観上も明らかなほどの変形がみられたこと、その後右鼻骨の整復術を施した結果、自然矯正力のある年少者であることも幸いして、術後の経過は良好で、事故後約一年経過してほぼ復元し、外観上その変形を発見することは容易ではない程度に安定回復していること、しかし、本来固定し難い部位であるため完全な固定状態とはいえず、その部位を触診すれば鼻稜の変形を認知することができることが認められるところ、以上認定の事実ならびに本件事故の態様、入院期間、当時同原告が一二才の少女であつたこと、そのため少くとも一年間は顔面の変形による精神的苦痛を味つたであろうこと、その他諸般の事情を考慮するとき、原告響子の精神的苦痛に対する慰藉料の額は金二〇万〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

以上(イ)(ロ)の合計は金二七万八、〇二二円である。

五、結論

そこで被告らに対する原告らの本訴請求中、原告敬次郎については前記金四四万九、四九八円、原告響子については前記金二七万八、〇二二円、および右各金員に対する本件訴状送達の翌日であることの明らかな昭和四三年三月一日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。(川渕幸雄 工藤雅史 川本隆)

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